うつ病と心理学と自分

双極性障害Ⅱ型の現役大学生。将来は不透明。

"教える"に情熱を注ぐ

どうも、shamGです。
試験とアルバイト、そして自分の調子の波に攫われつつも
1教科単位の犠牲のみで何とかやっています。

今日はある授業を受けて感銘を受けた(自分らしくないが)ので
このテーマについて書いていきたいと思うのです。

その授業は様々な領域で"教育"に携わる人達のオムニバス形式なのですが、
自分の知識のみではなく、後世に引き継ぐ、つまり"いかに教えるか"に情熱を注ぐ人たちも
いるのだなぁと感じ、非常に驚きました。

知識の再構成

私が特に感銘を受けたのはこの言葉です。
もし、ある教科を小学生や中学生に教えるとするのならば、自分が今までやった事を
一旦壊して自分でまた作り直す作業が必要だというのが、この言葉の意味するところです。

しかし、これって簡単に言えることですが、とても難しいですよね。

だって、誰かに教えるときに一番楽な方法とは、自分が楽に解ける方法をそのまま教えることですよね。
そうじゃなくても、教科書に沿って何度も何度も同じような問題を繰り返させる…。
でも、これってそもそも"真に理解させる教え方"とは言えないですよね。
これはただの暗記テストと変わりませんし、自分で"考えている"とは言えません。

学んでいる中で生徒から出る「なぜ?」にすべて答えてあげられるような姿勢が出来ていないと
真に理解させるというのは難しいのかもしれません。
まぁ、そうするとキリがなくなるし時間がかかってしまうのは分かるのですが…。

でも、上から「これはそういうやり方で覚えるんだ」と押し付けることは、思考停止と変わらないのは確かですよね。

視点を定める

もう一つ感銘を受けたのはこの言葉です。つまり、自分が今学んでいるのはどういう視点に立脚したものなのか、
これを把握するという事です。

これもいざ実践するとなると難しい事です。つまり、"何が分からないか分かる事"が重要ですから。
そして、これこそ教える立場の人々が支えてあげなくてはならない点だとも感じる訳です。
迷路に迷っている生徒を、上から把握しその上でゴールにたどり着かせるのが教える立場の役目だと思います。

しかし、これについても、ただ生徒の手を引っ張ってゴールに連れていくようなやり方では怠慢です。
何故迷ってしまったのか、これを上から把握し教えてあげられないのなら、それは"教える"とは言えません。



…こうして見るといかに、教える立場というのが難しいのかと思われます。
私たちの日常生活では、誰かに何かを教えるという事は無関係かもしれませんが、それは教育現場のみならず
会社の上司部下であったり、親子供であったり、様々に"教える"状況は存在します。

自分は今のところ、いずれも無関係だと感じている(だけかもしれない)のですが、
自分の知識を引き継ぐ作業というのは些細なようで難しいのだと思います。
だからこそ一旦待ったをかけて、教えられる立場の目線を考えた教え方というのが必要なのでしょう。


とまぁ教育に今の所何ら関係のない一学生がそう思えた一日でした。