黒猫
私の家の前には畑と桃の木がある。
畑はいつも、玉ねぎだろうか、が栽培されているらしいが、
現在は見る影もなく、土も見えないくらいに雑草が茂っている。
太陽が落ち、空が暗くなってきたころに買い物から帰ると、
雑草畑へ黒い猫が一匹、走っていくのを見かけた。
猫の目線ならば、この雑草の群れは森のようなのだろうと感じつつ、自宅へと向かっていると、
雑草の隙間から道路側を覗いていたらしい黒猫と、目が合った。
その光景の偶然性を可笑しく感じ、目線を落とし、手などをヒラヒラしていると、
黒猫は雑草の森へと走っていった。
私が通過するのが分かっていたかのように、道路を覗く黒猫の黄色い目が
未だに脳内に焼き付いている。
その猫が何の原理でそう行動したかは分からないが、
黒猫が見せた警戒心が、雑草の森へと入っていく様が、
まるで、警戒心の強い人間が集団へと逃げ帰る様を彷彿とさせた。
私たちは深く知り合った人間以外、例え初対面の人間でも集団へ溶け込んだとしたら、
それを見つけることは難しく、そもそも探し出そうとするだろうか。
集団は個人の集まり、社会は集団の、さらに言えば個人の集まりなのに、
一度溶け込んでしまえば、これほど匿名性の高い空間はないだろう。
など、ただ目の前に広がる雑草畑の、一過性のメタファーを、ああでもないこうでもないと考える。
対照的に桃の木が植えられている一角は、枝先が伐採され、葉も花もない。
土が広がる中に木だったもの、が植えられている。
これだけ密集していなければ桃の木は一つ一つ見分けがつくだろう。
私の家の前には二つの様相の異なる、集団が存在する。