双極性Ⅱ型の呟きの行く先

双極性障害Ⅱ型の元早稲田生。何をこなすのも下手。

回顧

人と横並びになる事を嫌い始めたのはいつ頃だろうか。
いや、正しくは自分を周りと同化させる事が嫌になったのはいつ頃だろうか。

小学生の頃は、はっきり言えば、秩序愛がとても強い時期であった。
今思えば、この年頃にしては珍しいタイプの人間であったかもしれない。

規律正しく、しかし調和のとれた平和な人間関係を好んでいた。
そして幸運なことに、両者が実現した(と思われる)環境に居られたため、
小学校生活を生き延びることができた。

しかし、それは中学校に上がると崩れることになる。

いわゆる、このころから要領の良さ、というのが
中学生という思春期を生き抜くのに、必要な力の一つになっていった。

私は不器用だった。

不器用ゆえに唯一頼りにした規則は必ずしも、評価の軸にならない事を知った。
調和のとれた人間関係なぞ、人数が小学校時代の数倍も増えた環境では、
実現不可能に等しかった。


そんな現実はすぐに理解できた。だから、疲れた。


私の小さくて伸縮性のない信念など、いとも簡単に折れた。

しかし、私はこれで良かったと思っている。

安寧秩序な社会。調和がとれたユートピア
健全で理想的な社会。
そんなものは存在しない。

その現実を13歳の心身に叩き込んでくれた、いい機会であった。

私はこのころより不登校になり、最終的に中学卒業まで教室に戻らなかった。

大人たちは必死に原因を探す。
いじめられたの?あの授業のグループが良くなかった?家庭が良くなかった?


それともお前が甘いだけじゃないか?


今思うと、私の不登校の原因はそんな、安易で一時的なものではなかった。

あの時、私は間違いなく社会に相対した。
それも、中学すら包含する大きな社会に。

そして悟った。

私のありのままの存在の仕方は、社会に貢献できるものではない。

生きていくためには、
自分を殺して社会に対し"良い人間"になり、周りと調和を築き上げるか、
自分を殺さない代わりに、"良くない人間"のまま、大多数の人間と違う道を行くか。

どちらも自分に傷がつく、茨の道だ。

中学生だった私に、その決断をする勇気はなかった。
高校生になっても、結果的に多くの人とは違う道を選ぶことになったが、
それでも私は、"私を含めた周囲との調和"、という幻想を捨てる勇気が無かった。

どちらを選んでも茨の道ならば、自分を殺してしまえばいいと、本気で思っていた。

自分の存在を消す前に、というやけっぱちな気持ちで受けた大学の試験は、
合格という結果になった。

私は生かされた。



現在。

大学では私と似て、どこか集団とは浮くような、個性的な人々に囲まれた。
人と違う、ということを排除するのではなく、面白いやつだと笑ってくれる人がいる。
これを幸せと言わずに、なんと言おうか。
ただ私の存在を認めてくれる存在がいる。それだけで十分すぎる話だ。

未だに社会との折り合いはついていないが、その一歩手前、自分の存在の仕方は定まってきた。

学生の身分を終えた暁には、次の課題である、
社会との付き合い方、をぜひとも会得したいものだ。