双極性Ⅱ型の呟きの行く先

双極性障害Ⅱ型の元早稲田生。何をこなすのも下手。

哀情

この感情に名前をつけるとしたら、何と呼ぼうか。

いつからか、泣きたいと思っても泣けなくなった自分がいる。
どれだけの悲しみも、ただの重りとなって、
脳を地に落とすような感覚。

感情が浮上しない。
抑うつ状態となり、思考の抑制が起こるものの
不思議と悲しみの感情は湧き上がらない。


最も印象的だったのは、哀惜の感情すら湧き上がらなかった事だ。


私は10代の内に近しい人を失った事が二度ある。

一人目は祖父、二人目は父。

こうしてみると父の死の方がよほど、哀惜の念に堪えないように思われる。
しかし事実は異なる。

父との暮らしが断片的であった私にとっては、
継続的に近くに寄り添った祖父の死の方が余程悲しみに暮れたものであった。

一方、父は。

本音を吐露するのであれば父は、軽蔑、憎悪の対象でしかなかった。
それらエピソードを語るには、
文字数を徒に消費するだけであるため省略とする。


しかし、私の人間らしい正常な感情に影響を与えたのは、
父の死である事も間違いなかった。


悲しみも、軽蔑の対象が消えた喜びのどちらも湧く事は無かった。
伝えるべき事を伝えなかった悔しさも、無力感も感じる事は無かった。

確かに存在したのは心の防衛、分厚い壁が聳え立つ、それだけだ。
この頃に私は双極性障害者として生きる事になったのは、間違えるはずもない。


父は遺産を残した。
借金は消えた。憎悪の存在も消えた。
形のない遺産は私の脳に、確かに刻まれていった。

悲しみは湧くことすら許されないものになった。
人間の、生存戦略としての感情の一つを私は失った。

哀情の喪失、それ自体に悲しみが湧く事すら無い。


私は陰鬱な音楽をしばしば聴く。


それはまるで自傷行為のように。
悲しみを湧き起こす儀式の様に。

正常な人間になりたい、と願い、
生きて、食べて、寝て。
ちっぽけな生存戦略を取り戻したいと願うのであった。