双極性Ⅱ型の呟きの行く先

双極性障害Ⅱ型の元早稲田生。何をこなすのも下手。

弱音

さて、更新が多くなるのは

悩みが肥大化しつつある兆候である事は

私が一番よく知っている。

 

人間やらねばいけない事が増えると

思考のネットワークを活性化させ、

リソースをフル活用せねばならない。

 

そうしてしまうと、必然的に意識上から溢れていた自身の眠る問題に直面化し、困惑を覚えざるを得ない。

 

 

正にこれが現在の状況である。

 

 

吐くべき弱音を飲み込むように、アイスティーを飲み込む。

吐くべき弱音を一つずつ消化するように、タバコの煙を吹かす。

 

ただ進むしか無いのだと自分に言い聞かせ、その実、歩む足取りは遅い。

 

しかし、忘れたいと思う事はない。

忘却は自身の初期化と感じるからだ。

 

 

ただ、引き摺りながら、歩む事。

 

 

生きる、その行為としての連続はこのようなものでしかないのだろう。

 

例え問題に直面化しても、必死に壁にしがみつきながら、無様に登る事が、矮小な人間の姿なのだろう。

 

ただ一度きりの人生の大切さは、至る所で啓発されている。

 

壁に阻まれる人生。

登るか、はたまた穴をあける越え方もあっても良い。

狡い奴と蔑まれても、同様の壁に再び阻まれる事への恐怖心を煽られたとしても。

 

歩むしかない。

越える時分が来て、能力が備わった時に巨大な存在を克服するのを待っても良い。

 

生きる事はわからない。

自分の事もわからない。

 

手探りで進む不器用さでしか、私はこの世界を生きる事が出来ない。

 

諦めの言葉だけは吐きたくない。

 

土に汚れた黒い革靴を磨いて外に出る日々が、

また今日も続く。