双極性Ⅱ型の呟きの行く先

双極性障害Ⅱ型の元早稲田生。何をこなすのも下手。

存在の創られ方

私、自己、自分。

 

その創られ方はきっと宝石を磨くものとはかけ離れている。

 

アルミホイルのようにまっさらで、

クシャと丸めて、磨く。

 

上手くいかない時は解かれて、

ゴミ屑のような形になることさえある。

 

恨みや怒り、憎しみ。

そんなものを超越したくて、

でも打ちひしがれて自分を傷つけたこともある。

 

幸せを求めて、理想との差に愕然としながら、

日常のささやかな幸せに浸ることもある。

 

存在とは、永遠に繰り返す結果論だ。

 

自分の在り方とは、年月が容易に変えてしまう。

 

永遠に完璧、いや、確立したものにならない。

 

それでも今の自分が辿った道を振り返った時。

 

そこに道があった時もあれば、

獣道を開拓した時だってあった。

 

様々な困難と幸せを経験した。

様々な感情を経験した。

 

私はまだ自分の存在を問わずにはいられない。

 

一つわかったこと。

 

それは他人の存在があったこと。

 

他人に導いてもらったこともあれば、

他人を踏み台に、屍を超えたこともある。

 

感謝は伝えられなくなってから後悔に変わる。

恨みは伝えられなくなってからその濃度が下がり、やがて忘却に変わる。

 

私は伝えられない感謝を忘れることができない。

 

それを感謝だと認識するのも、

感謝を持つのも、

感謝を伝えたいと思うのも、全て自己満足。

 

置き去りにした、言葉にならなかったものを、

私は昇華できるのか。

どうやって、昇華するのか。

 

答えの見つからない問いが、

私の中で燻り続けて顔を出す。

 

私の存在を創った人々。

 

報いるために出来ることは、

進み続ける。

 

ただ、それだけなのかもしれない。