双極性Ⅱ型の呟きの行く先

双極性障害Ⅱ型の元早稲田生。何をこなすのも下手。

先輩

13,14時に起きることが習慣化されつつある。

季節の節目が不思議ともたらす、だるさは相も変わらず、

シャワーを浴び、化粧をし身支度をする。

 

昨日は所属するゼミの送迎会だった。

 

卒業式を控える四年生にお祝いの言葉と、小さな花束を手向けた。

4月が始まれば、彼・彼女らはもういない。

 

一人の先輩が、私の体調と取得単位についてとても心配してくれた。

以前より、障害を持つ私を人一倍気を使ってくれた人だ。

そんな彼も、四月からは社会に出ていく。

 

ゼミには新3年生が仲間入りとなり、私は形式的に先輩になる。

先輩を持つ立場は今まででずっと慣れてきたが、自分が先輩という立場になることは、

なぜだか現実的でないように感じて、考えたことがなかった。

 

上の立場になることを避けてきた、と感じる。

自分は一定の方向で課題を進めるよう、提案をすることは出来るが、

それは対等な関係の場合であって、

リーダーシップはなかなか発揮できずにいる。

 

就職活動においても、リーダーシップというのは資質として問われる事がある。

 

私は上に立つ程見通せる目をもっていないため、

適材適所の視点で見ると、間違いなくリーダーにふさわしくない。

 

しかし現実は、経験を積んでいくにつれて、上の立場へと昇るという事でもある。 

 

私はこの序列の制度が嫌で、会社務めは向いていないと諦めたのであった。

 

先輩とは、なんだろう。

あまり構えないほうが良いのかもしれない。

かえってそれは現実との不協和をもたらす。

 

対等な対話をしつつ、こういう情けない先輩の存在もあるのだと

認められてくれればそれで良い。

回顧

人と横並びになる事を嫌い始めたのはいつ頃だろうか。
いや、正しくは自分を周りと同化させる事が嫌になったのはいつ頃だろうか。

小学生の頃は、はっきり言えば、秩序愛がとても強い時期であった。
今思えば、この年頃にしては珍しいタイプの人間であったかもしれない。

規律正しく、しかし調和のとれた平和な人間関係を好んでいた。
そして幸運なことに、両者が実現した(と思われる)環境に居られたため、
小学校生活を生き延びることができた。

しかし、それは中学校に上がると崩れることになる。

いわゆる、このころから要領の良さ、というのが
中学生という思春期を生き抜くのに、必要な力の一つになっていった。

私は不器用だった。

不器用ゆえに唯一頼りにした規則は必ずしも、評価の軸にならない事を知った。
調和のとれた人間関係なぞ、人数が小学校時代の数倍も増えた環境では、
実現不可能に等しかった。


そんな現実はすぐに理解できた。だから、疲れた。


私の小さくて伸縮性のない信念など、いとも簡単に折れた。

しかし、私はこれで良かったと思っている。

安寧秩序な社会。調和がとれたユートピア
健全で理想的な社会。
そんなものは存在しない。

その現実を13歳の心身に叩き込んでくれた、いい機会であった。

私はこのころより不登校になり、最終的に中学卒業まで教室に戻らなかった。

大人たちは必死に原因を探す。
いじめられたの?あの授業のグループが良くなかった?家庭が良くなかった?


それともお前が甘いだけじゃないか?


今思うと、私の不登校の原因はそんな、安易で一時的なものではなかった。

あの時、私は間違いなく社会に相対した。
それも、中学すら包含する大きな社会に。

そして悟った。

私のありのままの存在の仕方は、社会に貢献できるものではない。

生きていくためには、
自分を殺して社会に対し"良い人間"になり、周りと調和を築き上げるか、
自分を殺さない代わりに、"良くない人間"のまま、大多数の人間と違う道を行くか。

どちらも自分に傷がつく、茨の道だ。

中学生だった私に、その決断をする勇気はなかった。
高校生になっても、結果的に多くの人とは違う道を選ぶことになったが、
それでも私は、"私を含めた周囲との調和"、という幻想を捨てる勇気が無かった。

どちらを選んでも茨の道ならば、自分を殺してしまえばいいと、本気で思っていた。

自分の存在を消す前に、というやけっぱちな気持ちで受けた大学の試験は、
合格という結果になった。

私は生かされた。



現在。

大学では私と似て、どこか集団とは浮くような、個性的な人々に囲まれた。
人と違う、ということを排除するのではなく、面白いやつだと笑ってくれる人がいる。
これを幸せと言わずに、なんと言おうか。
ただ私の存在を認めてくれる存在がいる。それだけで十分すぎる話だ。

未だに社会との折り合いはついていないが、その一歩手前、自分の存在の仕方は定まってきた。

学生の身分を終えた暁には、次の課題である、
社会との付き合い方、をぜひとも会得したいものだ。

某企業の説明会を終えると、その疲労感はもはや痛みと化していた。
スーツという鋳型は、ここまで体を締めあげられるものか、と改めて感じる。


緊張を和らげるために、適当なカフェを見つけて入る。


ブリキのマグカップに入ったアイスコーヒーは、
底の見えない井戸のように見える。
手を付けずに手元のマグカップを眺めていると、店員がストローを持ってきてくれた。


お前はマジョリティから漏れた人間だ。
これからもマジョリティから漏れる人間だ。


企業の説明会に殺到する就活生の黒い群れに溶け込もうとすると、
私の頭の中でこうした声が響いた。


何も価値を作り出せなかった自分が、顔も名前も知らない黒い群れに溶け込もうとする。


本来であれば群れに溶け込むことは、社会的生物である人間にとって、
安心感を覚えることなのかもしれない。


しかし私が常に覚えるのは、弾力性の強さ。
それも私を通してくれない、
水と油のようにお互いを弾く関係性。


自分には、社会に貢献の出来る価値がないと分かっている。
これは、憂鬱な自分が作り出した、歪んだ認知ではない。
適正の方向性が社会に向いていない、という感覚が近い。


だから、マジョリティに漏れた就職活動をしようと決めた。


職を得るのに、黒い渦の勢いに身を任せるだけが唯一の道ではないはずだ。


とりあえず、で職を得るのをやめた。
自分の及ばない事で価値を生み出そうとするのをやめた。


私は恐らく、またもスタートラインに立つのにすら遅れるのだろう。
しかし、それでいい。
自分の命を削って生み出す、まやかしの価値は、すぐに見破られてしまうだろう。


しかし、飲み終わったコーヒーは、氷が大きくて、やはり底が見えなかった。

黒猫

私の家の前には畑と桃の木がある。


畑はいつも、玉ねぎだろうか、が栽培されているらしいが、
現在は見る影もなく、土も見えないくらいに雑草が茂っている。
太陽が落ち、空が暗くなってきたころに買い物から帰ると、
雑草畑へ黒い猫が一匹、走っていくのを見かけた。


猫の目線ならば、この雑草の群れは森のようなのだろうと感じつつ、自宅へと向かっていると、
雑草の隙間から道路側を覗いていたらしい黒猫と、目が合った。


その光景の偶然性を可笑しく感じ、目線を落とし、手などをヒラヒラしていると、
黒猫は雑草の森へと走っていった。


私が通過するのが分かっていたかのように、道路を覗く黒猫の黄色い目が
未だに脳内に焼き付いている。


その猫が何の原理でそう行動したかは分からないが、
黒猫が見せた警戒心が、雑草の森へと入っていく様が、
まるで、警戒心の強い人間が集団へと逃げ帰る様を彷彿とさせた。


私たちは深く知り合った人間以外、例え初対面の人間でも集団へ溶け込んだとしたら、
それを見つけることは難しく、そもそも探し出そうとするだろうか。


集団は個人の集まり、社会は集団の、さらに言えば個人の集まりなのに、
一度溶け込んでしまえば、これほど匿名性の高い空間はないだろう。


など、ただ目の前に広がる雑草畑の、一過性のメタファーを、ああでもないこうでもないと考える。


対照的に桃の木が植えられている一角は、枝先が伐採され、葉も花もない。
土が広がる中に木だったもの、が植えられている。


これだけ密集していなければ桃の木は一つ一つ見分けがつくだろう。



私の家の前には二つの様相の異なる、集団が存在する。

所在無さ

正午12時に起き、シャワーも浴びてなかったため、
今日はなにも出来ない日か、と思いつつ
"勉強"をお題目にカフェに行った。


1日の最低限の目標である問題一問をこなしたものの、結局熱することもなく、そしてなにも考えず、
ぼやっと時間を過ごしていたために現在に至る。


大学の休暇期間は長い。
だからこそ留学に行く人、バイトに精を出す人、
就活に精を出す4回生、そこに私は含まれていないが、
などがいる。


時間をどう使おうかは、あからさまに人に迷惑をかけない限りで自由だ。
だからこそ正解はなく、所在無さを感じることが多々ある。
友達と呼べる人はありがたいことにいる。
彼女たちと一緒に出かけることがあっても、頻度としては少ない。


一人の時間をどう過ごすかは、毎日、それも毎秒迫ってくる課題だ。
私は多くの時間を、外国語の学習と読書をして費やすために、意識しなければ、外に出ていく必要性が基本的にない。
石の下に巣食うダンゴムシのように、私の巣は陽の当たるところにない。


気まぐれに外へ出ていくと、人間の関係性や反乱する情報が目に見えない電波のように、絡まりながら存在するように感じられる。
そして、その中に組み込まれていない、自分の存在も。


どう過ごすか、はどう生きるか、の問いに合致しないものの、類似の解を与えることができるだろう。
しかし、私の解は現実にはまだ適合しない、途中式のままだ。


日陰者は、陽に出るために適応させていかなければならないのか、と思った矢先、
"日陰で育つ花"の存在を思い出した。
誰がいつ言ったのか思い出せない、しかし何故か覚えているフレーズ。


いつもの癖で調べてみるも、中々様々な種類がある。
そして、これらは日陰"でも"育つという表現がなされている。


ならば、なるほど、私はこの花のように生きよう。
日陰でしか育たない花がないのなら、日陰でも育つ、時たま陽にあたることもある、そんな存在になる。


そう言いながら、再び外に出たのはこんな深夜。
踊り場に捨ててあるビニール傘が、風になびいているだけであった。

頑張る

 小説の中からそっくり出てきたような、カップルと思わしき男女が、
「ここに行きたぁい」「うん、いいね」
などと話している隣で、海鮮麺を啜りながら、「頑張る」とは何ぞやと考えていた。

というのも今日出かけた先で、人から言われた、
「学生だからまだ頑張れますよ」
という言葉が脳の中でひっかかって、処理しきれないままだったからだ。

 私はこの、頑張るという言葉が、文脈によっては残酷なものになると感じることがある。

便利な言葉。一見致命的には及ばないものの、殺傷能力を秘めている言葉。

そのため障害が発覚してから、いや、それ以前から、この言葉は果物ナイフのように扱おうと決めていた。


それから私は頑張るという言葉の曖昧さが、これまた脳の中でひっかかったため、
語源を調べてみた。

 ひとつは、「眼張る(がんはる)」が転じて「頑張る」になったとする説で、
「目をつける」や「見張る」といった意味から「一定の場所を動かない」と
いう意味に転じ、更に転じて現在の意味になったとする説。
 もうひとつは、自分の意見を押し通す意味の「我を張る」が転じ、「頑張る」に
なったとする説。
http://gogen-allguide.com/ka/ganbaru.html 語源由来辞典より

これらの説に則るのであれば、頑張るとは二通りの意味をもつことになる。
そして、前者の説は「一定の場所を動かない」に「努力する」という要素が
加って現在の「頑張る」になったと言えるのではないだろうか。

それでは、現在の「頑張る」とは何なのか。

1 困難にめげないで我慢してやり抜く。

2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我 (が) を張る。

3 ある場所を占めて動かないでいる。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/49508/meaning/m0u/ goo辞書より


2と3は、語源由来辞典から引用した二つの説に近い説明だと思われる。
そして、1の語義が現在では一番多く使われているのではないだろうか。

 そして、二つの辞典より語義を確認して、私の脳内に引っかかった理由は明確になった。

困難にめげないで我慢してやり抜く。

困難。我慢。

恐らく私はここにひっかかりを感じている。

困難に歩みを止めざるを得なかった、我慢をするにはあまりにも過酷過ぎる状況。
このような状況に置かれた人々は「頑張った」と言えないのだろうか。
やり抜く、つまり、ある結果が残らなかった努力の過程は「頑張った」と言えないのだろうか。

現代の「頑張る」は、多くの文脈のなかで、努力と結果を期待されるものになっているだろう。

拡大解釈が許されるならば、
犠牲
すらその語義の中に感じられる。

 「頑張る」こと自体の素晴らしさは理解できる。十分称揚されるに値するものだ。
しかし、それは自己を鼓舞する場合で、他人を鼓舞する場合では異なる。
何故なら先に書いた通り、それは時に刃となる可能性があるからだ。

 「頑張る」という言葉の意味やニュアンスが広く共有された現在において、
人々に対して、「頑張る」の語源を正しく理解させようとするのは非現実的だ。

 だが、一方で私はこう思う。

「頑張る」という言葉に人々の方が縛られているのではないか。

頑張らないと落ちぶれる、結果が出なかったから頑張りが足りなかった、頑張れない自分はダメな人間だ。
これらの言葉は違和感が無い程度には、聞きなじみのあるフレーズだろう。

「頑張る」という言葉はいつのまにか、人の価値(のようなもの)を左右しうる言葉になりうる。
そう考えると、これほどまでに手近で残酷な言葉は無いと感じる。


 過去の記事と比べてだいぶ冗長な文章になってしまった。


私は、
「頑張る」という言葉に支配されながら意思決定をするのではなく、
「頑張らない」選択肢を経て、出る結果というのもあるのではないかと考える。

困難に対処する方法は「一定の場所を動かない」、つまり「頑張る」こともできるが、
それだけではない。
そして、「一定の場所から離れてみる」、つまり「頑張らない」道を選んでも、
その道が途絶えているということはないだろう。

「頑張る」という言葉の支配で、自分が壊れてしまうくらいなら、
「一定の場所から離れてみる」ことだって重要な過程の一つではないだろうか。

現代の意味における「頑張る」だけが人間の価値基準ではない、
脱・「頑張る」の気運が高まると個人的にはウレシイものだ。

レール

少し自分のことについて、簡潔に書こうと思う。

私は中学は不登校、高校は単位制に通信制を経て卒業した。
高校からパート社員として働いた運送会社の職場で、卒業後も働いた。合計で3年近くその職場にいたことになる。

そして20歳の春、早稲田大学に入学したという経歴を持つ。

この経歴の時点で、私は日本社会のスタンダードに乗ることはできなかったと言えるだろう。
集団生活は楽じゃない。社会はもっと厳しい、辛いに違いない。
そんな事を中学生の時から感じていた。

そんな弱さが、自分が嫌いだった。
これで良かったんだと思う自分と、これではいけない
のだという自分が今も闘っている。
それはまるで生にしがみつく自分と、死をもって終わらせようとする自分の、私の中の戦いだ。

社会というレールに接近するたび、自分の中で闘いがはじまる。
辛うじて見つけられる武器を取り出しては、そんなんじゃ武器にすらならないと嘲笑う自分がいる。

社会だけではない、現実も厳しい。

大学2年に上がる頃に発覚した、双極性障害という枷は、想像以上に私の歩みを遅くした。
現実に抗う武器も、障害の前に錆びるのはこんなにも容易いものだ。

こんな現実と、自分の意思に関わらず持続し続ける社会。
どう折り合いをつけるべきか、その方策はまだ目処すらたたない。

唯一わかることがあるとすれば、
それでもレールは地平線の先に続くということだけだ。