双極性Ⅱ型の呟きの行く先

双極性障害Ⅱ型の元早稲田生。何をこなすのも下手。

不安定が過ぎる1日のスクリーンショット

意識の根を辿って行くと、蝉の鳴き声が四方、自然を奏でていること、聴覚がそれをキャッチしていることが明白化される。

ヘッドフォンから音楽を流すと、旋律を構わず無視する自然の音が、人間世界との境界を頑として区切るようでいやに面白かった。理解の出来なさ、不調和が、心地悪さの域に侵入する様を身体全てで感じ取った。

 

もっと理解できなかったのは大気。

まるで暑さを緩和しようと、ここぞとばかりに雨を降らす無限の自然を、人為と解釈する私。私はどこまでも自然だと思われる雫をただ、享受した。傘はなかった。剥き出しの自然が等身大に襲いかかった。恵みと解釈したのは、私。

 

プラネタリウムを鑑賞し、ドームから出た時のような感覚。自然も時間も全てが操作的、人為的な空間から、外に出た時のあの一歩。胎盤から抜け出した、胎児の如く、容赦のない世界そのものに囲まれる。呼吸を整えるのに必死で、必死さから意識を外し、諦めた刹那、呼吸は整っている。

 

その時々完全である世界はやはり諸行無常で、過ぎゆく時間に、身を預ける不安定さが、眩暈を引き起こす。その連続。