就職活動
就職活動をしていると、常に自分が何者であるかを問うてしまう。
何者か。何者になるかが怖い自分もいる。
一度そのラベルがついてしまうと剝がす事が難しく、
却って、ラベルにその存在をつじつま合わせにしてしまうのではないか。
しかし生きていく上で、このラベルは目印にするために重要だ。
理想は、自分の認識と他人の認識が合致するラベルを自分に貼る事だろう。
双極性障害という荷を背負う事で、自分に対する認識の軸は簡単にぶれてしまう。
それは他人の認識と合意を取る事が難しい事を意味する。
皮肉なことに、他人の認識の方がぶれの少ない基準になってしまっている。
これでは、自分の人生を生き抜く事において一番してはならない、
他人本位の生き方になってしまわないだろうか。
これでは、自分のための就職活動ではない、
歯車になるための活動にしかならないのだろう。
何者にでもなれる人々を羨ましく思う事がある。
そのような人々をジェネラリストと言うのだろうか。
何者かにすらなれないかもしれない自分を恐れて、
何者かになるために空しく努力をする自分が、
正しいのか過ちであるのか、今は俯瞰することすら難しい。