双極性Ⅱ型の呟きの行く先

双極性障害Ⅱ型の元早稲田生。何をこなすのも下手。

頑張る

 小説の中からそっくり出てきたような、カップルと思わしき男女が、
「ここに行きたぁい」「うん、いいね」
などと話している隣で、海鮮麺を啜りながら、「頑張る」とは何ぞやと考えていた。

というのも今日出かけた先で、人から言われた、
「学生だからまだ頑張れますよ」
という言葉が脳の中でひっかかって、処理しきれないままだったからだ。

 私はこの、頑張るという言葉が、文脈によっては残酷なものになると感じることがある。

便利な言葉。一見致命的には及ばないものの、殺傷能力を秘めている言葉。

そのため障害が発覚してから、いや、それ以前から、この言葉は果物ナイフのように扱おうと決めていた。


それから私は頑張るという言葉の曖昧さが、これまた脳の中でひっかかったため、
語源を調べてみた。

 ひとつは、「眼張る(がんはる)」が転じて「頑張る」になったとする説で、
「目をつける」や「見張る」といった意味から「一定の場所を動かない」と
いう意味に転じ、更に転じて現在の意味になったとする説。
 もうひとつは、自分の意見を押し通す意味の「我を張る」が転じ、「頑張る」に
なったとする説。
http://gogen-allguide.com/ka/ganbaru.html 語源由来辞典より

これらの説に則るのであれば、頑張るとは二通りの意味をもつことになる。
そして、前者の説は「一定の場所を動かない」に「努力する」という要素が
加って現在の「頑張る」になったと言えるのではないだろうか。

それでは、現在の「頑張る」とは何なのか。

1 困難にめげないで我慢してやり抜く。

2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我 (が) を張る。

3 ある場所を占めて動かないでいる。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/49508/meaning/m0u/ goo辞書より


2と3は、語源由来辞典から引用した二つの説に近い説明だと思われる。
そして、1の語義が現在では一番多く使われているのではないだろうか。

 そして、二つの辞典より語義を確認して、私の脳内に引っかかった理由は明確になった。

困難にめげないで我慢してやり抜く。

困難。我慢。

恐らく私はここにひっかかりを感じている。

困難に歩みを止めざるを得なかった、我慢をするにはあまりにも過酷過ぎる状況。
このような状況に置かれた人々は「頑張った」と言えないのだろうか。
やり抜く、つまり、ある結果が残らなかった努力の過程は「頑張った」と言えないのだろうか。

現代の「頑張る」は、多くの文脈のなかで、努力と結果を期待されるものになっているだろう。

拡大解釈が許されるならば、
犠牲
すらその語義の中に感じられる。

 「頑張る」こと自体の素晴らしさは理解できる。十分称揚されるに値するものだ。
しかし、それは自己を鼓舞する場合で、他人を鼓舞する場合では異なる。
何故なら先に書いた通り、それは時に刃となる可能性があるからだ。

 「頑張る」という言葉の意味やニュアンスが広く共有された現在において、
人々に対して、「頑張る」の語源を正しく理解させようとするのは非現実的だ。

 だが、一方で私はこう思う。

「頑張る」という言葉に人々の方が縛られているのではないか。

頑張らないと落ちぶれる、結果が出なかったから頑張りが足りなかった、頑張れない自分はダメな人間だ。
これらの言葉は違和感が無い程度には、聞きなじみのあるフレーズだろう。

「頑張る」という言葉はいつのまにか、人の価値(のようなもの)を左右しうる言葉になりうる。
そう考えると、これほどまでに手近で残酷な言葉は無いと感じる。


 過去の記事と比べてだいぶ冗長な文章になってしまった。


私は、
「頑張る」という言葉に支配されながら意思決定をするのではなく、
「頑張らない」選択肢を経て、出る結果というのもあるのではないかと考える。

困難に対処する方法は「一定の場所を動かない」、つまり「頑張る」こともできるが、
それだけではない。
そして、「一定の場所から離れてみる」、つまり「頑張らない」道を選んでも、
その道が途絶えているということはないだろう。

「頑張る」という言葉の支配で、自分が壊れてしまうくらいなら、
「一定の場所から離れてみる」ことだって重要な過程の一つではないだろうか。

現代の意味における「頑張る」だけが人間の価値基準ではない、
脱・「頑張る」の気運が高まると個人的にはウレシイものだ。

レール

少し自分のことについて、簡潔に書こうと思う。

私は中学は不登校、高校は単位制に通信制を経て卒業した。
高校からパート社員として働いた運送会社の職場で、卒業後も働いた。合計で3年近くその職場にいたことになる。

そして20歳の春、早稲田大学に入学したという経歴を持つ。

この経歴の時点で、私は日本社会のスタンダードに乗ることはできなかったと言えるだろう。
集団生活は楽じゃない。社会はもっと厳しい、辛いに違いない。
そんな事を中学生の時から感じていた。

そんな弱さが、自分が嫌いだった。
これで良かったんだと思う自分と、これではいけない
のだという自分が今も闘っている。
それはまるで生にしがみつく自分と、死をもって終わらせようとする自分の、私の中の戦いだ。

社会というレールに接近するたび、自分の中で闘いがはじまる。
辛うじて見つけられる武器を取り出しては、そんなんじゃ武器にすらならないと嘲笑う自分がいる。

社会だけではない、現実も厳しい。

大学2年に上がる頃に発覚した、双極性障害という枷は、想像以上に私の歩みを遅くした。
現実に抗う武器も、障害の前に錆びるのはこんなにも容易いものだ。

こんな現実と、自分の意思に関わらず持続し続ける社会。
どう折り合いをつけるべきか、その方策はまだ目処すらたたない。

唯一わかることがあるとすれば、
それでもレールは地平線の先に続くということだけだ。

就職活動

就職活動をしていると、常に自分が何者であるかを問うてしまう。

何者か。何者になるかが怖い自分もいる。

一度そのラベルがついてしまうと剝がす事が難しく、
却って、ラベルにその存在をつじつま合わせにしてしまうのではないか。
しかし生きていく上で、このラベルは目印にするために重要だ。
理想は、自分の認識と他人の認識が合致するラベルを自分に貼る事だろう。

双極性障害という荷を背負う事で、自分に対する認識の軸は簡単にぶれてしまう。
それは他人の認識と合意を取る事が難しい事を意味する。

皮肉なことに、他人の認識の方がぶれの少ない基準になってしまっている。

これでは、自分の人生を生き抜く事において一番してはならない、
他人本位の生き方になってしまわないだろうか。
これでは、自分のための就職活動ではない、
歯車になるための活動にしかならないのだろう。




何者にでもなれる人々を羨ましく思う事がある。
そのような人々をジェネラリストと言うのだろうか。

何者かにすらなれないかもしれない自分を恐れて、
何者かになるために空しく努力をする自分が、
正しいのか過ちであるのか、今は俯瞰することすら難しい。