双極性Ⅱ型の呟きの行く先

双極性障害Ⅱ型の元早稲田生。何をこなすのも下手。

海底

雲から差す光の束は、薄明光線というそうだ。
雲の切れ間や端から光線が放射状に射すこの現象は、
別名として天使のはしごともいうらしい。


しかしこの強い光線すらも、深海には届かない。
ましてや海底にまで届くこともない。
そもそも、深海の定義は太陽光が射さないのだから、当然とも言える。


少なくとも私個人にとっては、
双極性障害躁状態は、太陽光と深海の関係に似ている。


インスピレーション、アイディア。
こういったものが私の脳の底にまで届く瞬間、時期があり、
本来なら光の射さない深海は、一時的に光が射して青みが増す。


しかし現実は、それは極の端に触れている状態なため、
薬物療法などで波を抑える事が治療の主流となっている。


現在、私の頭の中にはもうあの強い光が射し込むことは無い。


だが、これは医学上においても、現実の生活においても良い事なのである。


誰が感情や気分の荒波に身を任せたいと思うだろうか。
これは良い事なのだ。


この平々凡々とした新たな自分もまた自分なのだ。
そう言い聞かせても、
私は光のない海底を、底も見えない海の暗さから目を逸らすことが出来ない。


天使のはしごはもう私を導くことは無い。
深海を行くには自力で方向を見極めなければならない。


こんな明暗のコントラストが弱まった日々の中。


食べて、寝て、起きて、そんな時間を繰り返し過ごす事だけが
今の私の限界なのだろうと思う。

憩い

桜はあっという間に散り、緑の鮮やかな葉だけが生命力たくましく残った。

 

大学の灰皿スタンドまで枝を伸ばし花をつけていた桜の木も、今では枝の先まで葉がびっしりと生えている。

 

私の大学にはいくつかの喫煙所があるが、この場所が私の居心地の良い居場所となったのは、つい最近のことである。

 

授業の合間に一服すると、よく友人と遭遇するこの場所は、ある種憩いの場と化していた。

 

その心地良さから、針金が剥き出しになっているフェンスを背に、石段に座りながら本を読むようになったのも、最近では日常となっていた。

 

大学に入ってから、友人に恵まれたのは明らかだった。

 

今までは孤独の寂しさを知らなかったのか、あるいは麻痺していたのかは知る由もないが、孤独が痛いと感じるようになったのも、大学に入ってからの事であった。

 

個性の強い人たち。そして、それぞれに頭の良さがある。

 

私は彼女たちを尊敬している。彼女たちと言葉を交わすのは、私にとっては大切にしたい時間だ。

 

だから、私はあの喫煙所すらも愛おしい。

 

灰皿スタンドがあるのにも関わらず、吸い殻が数々落ちている事も、

何故か貝殻や流木が横たわっているあの土の山も、

砂利の入った麻袋が積み上げられている光景も、

 

そして、針金が剥き出して錆が見えるあのフェンスも、

 

私にとっては全てが愛おしいのである。

 

 

 

 

 

文字

一時期の忙しさが嘘のように、ゴールデンウイークがやってきた。

 

地上に着地することもないたんぽぽの種子のように、地につかない日々を過ごしている。

 

最近の低気圧は特に自分には厳しく、白と黒のコントラストがチカチカして文字すら読めない日が続いた。

 

私にとって文字は重要だ。

情報と自分をつなぐ重要な媒体である。

 

風に吹かれれば飛んでいきそうな、明朝体だって私にとっては大事な情報源なのだ。

 

外国語の勉強をしている時ですらそれは同じだ。

未知の世界に私を繋いでくれる。

 

本もニュースも外国語も、友人からのメッセージすら、私たちは文字に支配されている。

 

 

ディスクレシアという症状がある。

限局性学習障害とも言われるこの症状は、文字を読むことに困難を覚える障害だそうだ。

 

その困難の質や量は人によって違い、同じディスクレシアでも症状は異なる。

 

文字の読めない世界を我々の多くには想像し難いだろう。しかし、現実には存在するのだ。

 

私もまた、文字のない世界を想像出来ない一人だ。

 

だからこそ焦る。

世界や現実に繋がる糸が切れてしまったかのように感じるのだ。

 

恐らく調子が悪いとはこういうことなのだと思う。

 

文字の読めない時期というのは存在する。

でも未だにどう対処すべきか、いや、どうこの時期を過ごすかが確立していない。

 

結局私は文字に囚われ続けている。工夫を知らないでいる。

 

文字に変わるものを見つけたい。文字のない世界でも得られるものは必ずあるはずなのだ。

 

元号も令和に変わった。

今後は、文字に囚われない素晴らしい世界を知りたい。

 

"見て"知るものは文字だけではないはずだ。

 

 

今、ベッドの目の前にある本棚に積み上げられてる本は、私の強迫観念を表しているようであった。

 

 

 

 

「死にがいを求めて生きているの」

これは朝井リョウ氏著作のタイトルである。


読書感想文は好きじゃない。
人に好まれる文章をあれこれ考えるのは性分に合わないものだ。

しかし、この一冊をとって感じたことを、ここで書き留めておきたいとも思う。

あらすじなどを知りたいのなら、このブログよりも適したものがたくさんある。
評価やあらすじを知りたい方には、Amazonや他の方のブログなどおすすめしたい
また、予備知識が無いまま読みたい方は、ブラウザバックすることをおすすめする。


私がこの本を通して感じたのは、平成も終わりを迎えつつある中で、
この時代における人々が、特に若者の、無意識的あるいは意識的に抱える
強迫観念を明確化したということだ。


それは、つまり自分が生きていく上での軸が求められる社会との
闘いでもあるように感じた。
自分の信念やそういった軸というものが、どれ程のものか
試されている過程でもある。


また、多様化された社会での個人のあり方を
改めて問われるようであった。


生きがいや個性といったものは、多様化される程良いという理想のもと、
そこにしがみつくことそのものが、生きがいになっているという
ある種の皮肉を感じぜざるを得なかった。


そしてタイトルの通り、先にあるのは自滅そのものである。


生きていく上での必死にしがみついた先には、何もないということが
現実として突きつけられるようなそんな一冊であった。

忙しさ

桜が満開になるのは早い。

そして気づけば春一番に吹かれ、道路が花びらで覆われる。

 

そんな桜のように、満開になっては吹かれる、慌ただしい時間を過ごしていた。

 

通常の就活を断念し、試験を終え、そしてまた試験に追われている。

そして気づけば2日後には新学期が始まる。

 

暇を求めながらも、やることが無くなると時間をもてあます。双極の波をコントロールするには、この性分すらコントロールせねばならない。

 

この一年は正念場だ。

 

それは卒業がかかっているからというだけではなく、自分という機体をどう制御していくかという闘いでもある。

 

忙しさを乗り越えるために120%の力でもって挑むのではなく、80%を保っていく。

 

桜や向日葵のように、季節を待って咲き誇るのではなく、常緑植物のような強かさを備えたいものだ。

 

 

先輩

13,14時に起きることが習慣化されつつある。

季節の節目が不思議ともたらす、だるさは相も変わらず、

シャワーを浴び、化粧をし身支度をする。

 

昨日は所属するゼミの送迎会だった。

 

卒業式を控える四年生にお祝いの言葉と、小さな花束を手向けた。

4月が始まれば、彼・彼女らはもういない。

 

一人の先輩が、私の体調と取得単位についてとても心配してくれた。

以前より、障害を持つ私を人一倍気を使ってくれた人だ。

そんな彼も、四月からは社会に出ていく。

 

ゼミには新3年生が仲間入りとなり、私は形式的に先輩になる。

先輩を持つ立場は今まででずっと慣れてきたが、自分が先輩という立場になることは、

なぜだか現実的でないように感じて、考えたことがなかった。

 

上の立場になることを避けてきた、と感じる。

自分は一定の方向で課題を進めるよう、提案をすることは出来るが、

それは対等な関係の場合であって、

リーダーシップはなかなか発揮できずにいる。

 

就職活動においても、リーダーシップというのは資質として問われる事がある。

 

私は上に立つ程見通せる目をもっていないため、

適材適所の視点で見ると、間違いなくリーダーにふさわしくない。

 

しかし現実は、経験を積んでいくにつれて、上の立場へと昇るという事でもある。 

 

私はこの序列の制度が嫌で、会社務めは向いていないと諦めたのであった。

 

先輩とは、なんだろう。

あまり構えないほうが良いのかもしれない。

かえってそれは現実との不協和をもたらす。

 

対等な対話をしつつ、こういう情けない先輩の存在もあるのだと

認められてくれればそれで良い。

回顧

人と横並びになる事を嫌い始めたのはいつ頃だろうか。
いや、正しくは自分を周りと同化させる事が嫌になったのはいつ頃だろうか。

小学生の頃は、はっきり言えば、秩序愛がとても強い時期であった。
今思えば、この年頃にしては珍しいタイプの人間であったかもしれない。

規律正しく、しかし調和のとれた平和な人間関係を好んでいた。
そして幸運なことに、両者が実現した(と思われる)環境に居られたため、
小学校生活を生き延びることができた。

しかし、それは中学校に上がると崩れることになる。

いわゆる、このころから要領の良さ、というのが
中学生という思春期を生き抜くのに、必要な力の一つになっていった。

私は不器用だった。

不器用ゆえに唯一頼りにした規則は必ずしも、評価の軸にならない事を知った。
調和のとれた人間関係なぞ、人数が小学校時代の数倍も増えた環境では、
実現不可能に等しかった。


そんな現実はすぐに理解できた。だから、疲れた。


私の小さくて伸縮性のない信念など、いとも簡単に折れた。

しかし、私はこれで良かったと思っている。

安寧秩序な社会。調和がとれたユートピア
健全で理想的な社会。
そんなものは存在しない。

その現実を13歳の心身に叩き込んでくれた、いい機会であった。

私はこのころより不登校になり、最終的に中学卒業まで教室に戻らなかった。

大人たちは必死に原因を探す。
いじめられたの?あの授業のグループが良くなかった?家庭が良くなかった?


それともお前が甘いだけじゃないか?


今思うと、私の不登校の原因はそんな、安易で一時的なものではなかった。

あの時、私は間違いなく社会に相対した。
それも、中学すら包含する大きな社会に。

そして悟った。

私のありのままの存在の仕方は、社会に貢献できるものではない。

生きていくためには、
自分を殺して社会に対し"良い人間"になり、周りと調和を築き上げるか、
自分を殺さない代わりに、"良くない人間"のまま、大多数の人間と違う道を行くか。

どちらも自分に傷がつく、茨の道だ。

中学生だった私に、その決断をする勇気はなかった。
高校生になっても、結果的に多くの人とは違う道を選ぶことになったが、
それでも私は、"私を含めた周囲との調和"、という幻想を捨てる勇気が無かった。

どちらを選んでも茨の道ならば、自分を殺してしまえばいいと、本気で思っていた。

自分の存在を消す前に、というやけっぱちな気持ちで受けた大学の試験は、
合格という結果になった。

私は生かされた。



現在。

大学では私と似て、どこか集団とは浮くような、個性的な人々に囲まれた。
人と違う、ということを排除するのではなく、面白いやつだと笑ってくれる人がいる。
これを幸せと言わずに、なんと言おうか。
ただ私の存在を認めてくれる存在がいる。それだけで十分すぎる話だ。

未だに社会との折り合いはついていないが、その一歩手前、自分の存在の仕方は定まってきた。

学生の身分を終えた暁には、次の課題である、
社会との付き合い方、をぜひとも会得したいものだ。