知識
知識は最大の武器である。
これは格言といったものではなく、
身をもって体感した身近な言葉だ。
私は自分の知識の偏りと不足に、
コンプレックスを抱いている。
自分の脳で処理しきれない知識は、
ぬるりと水を滑る油のように落ちていく。
概念を獲得しても口から溢れるのは平凡な言葉。
平凡な話者の平凡な世界観。
正規分布の山から見下ろしているはずでいて、
その実、降りることの出来ない自分への恥、無力感。
平凡さへの恐怖は一体どこから来るのだろうか。
恐らく平凡さではなく、考えを止めることが私は恐ろしい。
しかし、それと同時に考えを常に巡らせる事は、
双極の波を悪化させかねない。
羊使いに飼い慣らされる羊のように、
柵で囲まれた生き方をする程、私の性分は穏やかではない。
自分の思考を相手に委ねる程、忠誠心もない。
柵を壊すため、大草原を駆け抜ける手段としての知識が、
私は欲しいのだと思う。
それでも現実は悲しいかな、
柵は壊せたとしても、飼い慣らされた羊の習慣が身に染みて、
自由を獲得できないでいる。
大草原をいざ目の当たりにすると、途方に暮れ、
どこに行けば良いのか分からないのが現状である。
経験が知識を規定する事があるのなら、
知識が未来に積むであろう経験を規定する事もあると私は信じている。
自由を手に入れたいのであれば、
その目的のため、推論を働かせる土台としての知識が
やはり必要なのではないかと思う。
そんな信念を抱えながら、
今は私の脳を制御する小さな錠剤すら恨めしく、
しかし、
錠剤に頼らねば歪んだ現実に蝕まれる自分の脳の脆さに対峙した、気がした。